東京高等裁判所 昭和55年(う)1611号 判決
被告人 田川和雄
〔抄 録〕
論旨は、要するに、被告人は、その所有にかかる原動機付自転車じたいを独立燃焼させるに至らず、公共の危険も生じさせていないうえ、合成樹脂製日よけも焼燬させていないのであるから、単なる毀棄罪に該当すると解されるのに、原判決が延焼の罪として問擬したのは、事実を誤認し、かつ、法律の適用を誤ったもので、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで、所論に、かんがみ記録を調査して検討すると、関係証拠によれば次の事実が認められる。
一 本件現場(東京都荒川区東日暮里四丁目二〇番三号三陽ビル前路上)付近は平静な住宅街で建物が密集している。右三陽ビルは東向きに建てられ、一階は同ビルの所有者の経営するパン小売店「三陽屋商店」の店舗で、二、三階は住居になっている。
二 被告人は、三陽ビルの三階の一室を賃借居住していたが、昭和五五年六月三日の未明、三陽ビル一階階段入口に駐めておいた自己所有の原動機付自転車のガソリンタンク(ガソリン約五リットル在中)の蓋をはずしたのち、右自転車を約三・二メートル南方に移動して、「三陽屋商店」店舗のシャッターの方に前輪を向け、シャッターから約五〇センチメートル離れた地点に車体を横倒しにし、右タンクからガソリンを流出させた。
三 原動機付自転車の車体の北側(シャッターに向って右側)には木製カバー付のアイスクリームケースが、南側にはおもちゃの自動販売機および合成樹脂日よけ付の牛乳自動販売機があり、前記店舗の軒先(地上約二・二二メートルの高さ)に合成樹脂製日よけが張りめぐらされ、その上部(右日よけから約一・一メートルの高さ)に二階居室のサッシ二枚引きガラス窓が設けられている。
四 被告人は、地上に流れ出た前記ガソリンに所携のライターの火を近づけて点火した。一瞬にして火はガソリンに燃え移り、すさまじい音を発して炎が上った。近くでスナックを営業していた奥村嘉子は、たまたま右出火に気づき、驚いて大声で人を呼び、一一九番通報を依頼し、さらに、通りかかった人達の協力を求めて消火活動に努めたが、右奥村や同女の叫び声を聞いて飛び出した三陽ビルの所有者の妻子らは、燃えさかる火の勢いを目前にして三陽ビルや近接の建物に延焼するのではないかと直観し、危惧の念に襲われた旨当時の心境を供述している。
五 火は奥村らの努力によってまもなく鎖火したが、右放火により、ガソリンは燃え尽し、原動機付自転車の機関部、サドルシート、前部泥よけが焼けただれ、アイスクリームケースの南面が変色しケース上の木製カバーの南側が炭化し、牛乳自動販売機の北面の下部が変色し販売機用日よけの北側が焼け、シャッターの外面の下部から上部にかけて変色し塗装がはげ、内面も下部から上部にかけて変色し、使用不能となっている。また、前記店舗の軒先の合成樹脂製日よけのうち、右原動機付自転車の真上にあたる部分約〇・九二平方メートルが焼失している。
以上の事実が認められる。
これによれば、被告人は、自己所有の原動機付自転車のガソリンタンク内から地面に流出させたガソリンに放火し、同車の機関部、サドルシートなどを炎上させてこれを焼燬し、これにより具体的に公共の危険を生じさせて、前記一階軒先の日よけの一部を独立燃焼させて焼燬延焼させたことが明らかである。原判決が被告人の本件所為を刑法一一一条二項の延焼罪に問うたのは正当であって、記録を精査しても原判決に所論の事実誤認および法令適用の誤りは存しない。
(岡村 林 新矢)